【人丸小のドッジボール】
人丸小学校では、平成9年、10年に「人丸ヤンキース」と言うチームが活動していました。
小学校の先生が指導されており、ドッジボールの好きな活発な男の子たちの集まりで、抜群の運動能力で、
本能的に効果的なパスワークや強烈なアタックで本当にバッタバッタと相手を倒していました。
明石公園で行われた大会で「ひょうたんファイターズ」と戦い、最終的には負けてしまいましたが、途中までは
一進一退の白熱したゲームを見ました。
また、関西大会にも出場しもう少しで決勝トーナメントにも進めそうなレベルでした。
その時に我が子とその友達が5年生で参加して6年での新チームになる前に、指導されていた先生が転向との
ことから、チームを教える人がいなくなってしまいました。

【ダーク・スナイパーズ誕生】(1999年)
別の先生が指導してくれると子供も喜ぶのにと期待しましたが、メンバーも少ないことも有り、解散状態でした。
大人が指導者にならないと大会には参加できませんし、練習のためのコートも確保できず、仕方なしに名目の
監督となり、自分の運動も兼ねて平成11年4月に「人丸ダーク・スナイパーズ」を設立してチーム活動を開始。
ドッジボールは小学校のものと思っていましたので、私はスポーツとしてのドッジボールなどはどの様に練習
すれば良いのか、ルールなどは全く知りませんので、ルールブックを取り寄せ何度も読んだのですが、理解する
のが難しかったですね。
メンバーは、その時点では2名だけだったので、友達に声をかけて、やっと15人となったのは6月でした。
チーム名は選手自信が何度も相談した中から、相手チームを確実にアタックするのだから、「スナイパーズ」、
如何にも強そうな方がいいので「ダーク・スナイパーズ」となりました。
その頃には非常に少ない黒をチームカラーとし、黒のTシャツと短パンを揃えるようにお願いしました。
練習と言っても何をすれば良いのか判らず、練習試合をしようにも他のチームのことは全く知りませんでしたので
自分たちで見よう見まねでドッジボール(ごっこ)をしていましたが、投げるのも受けるのも遊びのドッジボール。

【初めての公式戦】
そうこうしている内に7月の「第9回コープこうべカップ」に出場し、予選は勝ち抜いたのですが、決勝トーナメントの
最初に「ドッジスーパー1」と対戦しパスワークの上手さに負けてしまいました。
予選の時にも「花谷オールスターズ」や「ひょうたんファイターズ」のゲームを見て、ゲーム運びが上手く、小学生
のスポーツの概念が全く変わってしまいました。
大会後に「ひょうたんファイターズ」に練習試合のお誘いを頂き「大淀スーパースターズ」「ファルコンファイターズ」
と戦うチャンスに恵まれましたが、全てのスピードが違い、全く手も足も出ない状態でした。
同じ明石市には「沢池フレンズ」があり、試合運びが上手く、なかなか勝てませんでした。
「コープこうべカップ」で敗れた「ドッジスーパー1」との交流で「花谷オールスターズ」とも練習試合を行い、対戦の
中からゲームの組み立て方などを参考にさせて頂きましたし練習方法なども教えていただきました。
また、西宮で活動している「浜脇ドラゴンズ」と交流を持ち、非常に速いパスワークと速いアタック力を経験させて
貰うことができました。
翌週から早速ドッジボールに効果的な練習メニューを作りながら、少しずつでしたが進歩していきました。
この、コープこうべカップ後に転勤となり名古屋市に単身赴任し、週末は練習に戻ってくる日々が続きました。
愛知県はドッジボールが非常に盛んな所で、強いチームがたくさんあります。
そこで、平日の夜に練習をしているチームを探し、見学をお願いしました。
「萩原メッツ」「サザン97」には見学をさせていただき、練習や育成方法なども見せていただいたり相談にも
快く対応をいただきました。

【自信喪失と立直し】
3ヵ月後、明石市のドッジボール大会に参加しましたが、この頃には多少上達し、速いボールも投げることができる
ようになっていましたので、子供たちも自信を持って出場した。
しかし、コートが7mで、逃げることもできず、予選で敗退し、そのまま小学校に戻り練習をしました。
力勝負のアタックではヒットする確率は低く、やはり相手守備を切り崩すパスワークを中心に練習しました。
また、ボールの支配権を取るためにはアタックボールの捕球やパスカットも結構時間をかけて練習しました。
年末頃には近隣のチームとの練習試合でも良いゲームができるようになり、選手も自信を持ちつつありました。

【クロネコカップ】
このチームにとって最初で最後の「クロネコカップ兵庫県西地区予選」では立ち上がりは良くなかったのですが、
決勝トーナメントではボールを支配できる時間が長くなり、良いプレーを見せてくれて優勝。
何とか関西大会には出場したいとの一心でしたが、思わぬ成績を収めることができました。
関西大会迄には、東地区予選で出場が決まった「平野ビクトリー」と初めての交流試合で調整を行い、知らない
者の強みと言うか世間知らずの状態で「目指せ全国大会」などと考えていました。
せっかく関西大会に出場するのだからと保護者に無理をお願いして横断幕を手作りして頂き、現在でも使える程
立派なものでした。
しかしながら、奈良での関西大会では独特の雰囲気と参加している全チームの迫力あるプレーを目にして、緊張
したのか気合が入りすぎたのか、いつものプレーができず予選を一人差の3位に留まり、彼らのドッジボールは
終わってしまいました。

【最後のドッジボール】
奈良から戻り、目標も無くなったところに「ドッジスーパー1」からのお誘いで、お別れドッジボールに参加。
今まで交流を頂いたチーム同士で一日を楽しみ、ドッジボールとのお別れをしました。
これで6年生だけのチームは解散ですし、1年間お世話になった体育館も老朽化と震災で傷みが激しいいとかで
立て直すことになりましたので、私も監督から退くことを決めました。

【復帰=技術指導】(2000年)
人丸小学校には我々のチーム以外に、1学年下の「人丸ストロングス」があり、チーム運営を依頼されたのですが、
監督さんは最後まで見てあげて欲しいので、技術面の指導を行うコーチとして活動しながら、ドッジボール協会には
お世話になりましたので審判としてもレベルを高めると同時に他チームのプレーを学ぶことにしました。
人丸小学校の体育館は建設中で平成12年1月までは使えませんので、近くの朝霧小学校にある「A-キッズ」
にも技術指導を行うことで合同練習を続けました。
「人丸ストロングス」は「ダーク・スナイパーズ」の1学年下ですが、一緒に練習をしていたので速いボールにも
比較的慣れていましたので、平成12年の「コープこうべカップ」では4位に入賞できました。
しかし、体育館が他のチームの都合で決まることや時間も制約があり、十分な練習ができない状況でした。
明石市ドッジボール大会ではオール男子で「人丸ストロングス」、男女混合では「Aキッズ」が優勝し、指導した両
両チームが上位を独占しました。
その後も合同練習は続き、体育館を取り壊して約8ヶ月後の1月に新しい体育館で初めての練習でした。
「クロネコカップ」まで1ヶ月しかない中で土日曜は集中的に練習しましたが、これが悪影響となり、外野選手の手首
を痛めてしまいました。
兵庫県西地区大会では技術指導した両チームは順調に勝ち進み、決勝トーナメントの準々決勝で直接対決では
人丸ストロングスの外野選手を内野でしか使えない上に、慣れない外野手とのダブルパンチで敗退し4位。
対照的に「Aキッズ」は決勝戦も2セットを取り優勝し関西大会に出場しました。

【新たなる再出発=新生ダーク・スナイパーズ2期生】(2001年)
「ダーク・スナイパーズ」「人丸スロトングス」とも各学年で構成されているチームですので、「クロネコカップ」後には
完全にチームがなくなります。
選手がいて指導することで始めましたので、チームの選手集めは全く経験がありませんし、我が子は卒業している
ので、子供たちとの繋がりが無い状態でしたが、平成13年4月には初代「ダーク・スナイパーズ」「人丸ストロングス」
で活躍した選手の弟が何人かが入部し、部員を募集案内や口コミでだんだんとメンバーが増えて、1チームが出来
ましたが、6年生1人、5年生2人、あとは4年生と3年生の構成ですので、2年がかりでチーム作りと考え、ルールの
説明から始まり、基本となる投げ方や受け方はほとんどできていませんので、毎回チェックと指導を行いました。
今までの他チームとの交流を通じて練習試合に参加しましたが、如何せん力不足に加えテクニックも有りませんので
まず、勝てることは無く、ほとんどが守備の練習と言っても過言ではない位でした。
ドッジボールが好きな子供たちの集まりから、スポーツのドッジボールに取り組むクラブチームを目指しているので、
ユニフォームが欲しいところですが、安くは有りませんし実力もまだまだの状態ですので、刺繍屋さんと値段とデザイン
の交渉に何度も出向き、現在のチームロゴである「バーニングボール」を作り、ワッペンとして黒のTシャツに付けて、
チームの一体感を持つようにしました。
平成13年の公式戦、「コープこうべカップ」では予選リーグから決勝トーナメントに進み1勝はできたのですが、敗退。
この年には「ガッツクラブ」「ベスト稗田」「摩耶ブラックファイターズ」「イナズマファイターズ」と交流ができ、仲間の輪は
確実に広がっていきました。
「コープこうべカップ」で決勝トーナメントに進出できましたし、その後の練習試合などで多少は力が付いたと思って
いたで、少し期待していた「クロネコカップ西兵庫大会」は予選リーグで敗退でした。
クロネコカップが終わり、6年生を送り出す「お別れドッジボール」を開催しましたが、その年にとてつもなく強かった
「Wins Kobe」「ラストチャンス」、そして「平野ビクトリー」との交流で思う存分叩いてもらい、負け試合の多い中で、
「内野に残っていたい」「相手選手をアタックしたい」の気持ちが5年生以下の選手に芽生えてきたと思います。

【ダーク・スナイパーズ3期生】(2002年)
平成14年の新チームのスタートに当たり困っていたのが、人数的に2チームのメンバーとなったことです。
ドッジボールが好きな子供が多く参加してくれるのはとっても嬉しいことですし教える事も苦になりませんが、指導に
目が届かず、せっかく素質のある選手を伸ばすことができないとお互いが不幸になってしまいます。
それとは別にドッジボールが好きな子供が集まっているとは言え、やはり小学生ですから、こちらを教えていると
あちらで遊び始めるので、保護者のお父さんに無理やりお願いしたところ、2人が協力して頂けることになり、コーチと
して練習に参加してもらいました。
参加して暫くはドッジボールを甘く見ていたこともあり、体が痛いとか息が上がるとか言っていましたが、数ヶ月も続け
ると体も慣れて、選手を育成することを目標に個別に指導を行ってくれました。
チーム全体の底上げができたのはコーチのおかげだと感謝しています。
この年のダーク・スナイパーズは6年生2人、5年生7人、4年生3人と前年よりは高学年が増え、まだまだパワー面で
十分とは言えません、ジュニアチームはほとんどが4、3年生の構成となりました。
コープこうべカップではジュニアチームのスナイパーズが一番くじを引き、選手宣誓の権利を頂きました。
「大好きなドッジボールを、今日一日楽しむことを誓います」と先制しましたので、どうか良い成績をと期待しましたが、
スナイパーズは予選リーグ止まりでダーク・スナイパーズは決勝トーナメントに進んだものの、第一試合で敗退です。
投球、捕球の基本に時間をかけるしかないチームにとって、どうすれば勝てるのか?、これは全く考える事ができない
状態でした。
やはり決勝トーナメントに残り、勝ち進むチームの戦い方を見ていると、まるで違う世界のスポーツのようでした。
コーチと相談して練習メニューに攻撃のパターンを想定したパスワークや相手チームの攻撃を受け止める守備体系を
考えて、どう動けばいいのかを選手に説明しながら練習に組み込んでいきました。
その成果として、11月に行われた「明石市ドッジボール大会」ではダーク・スナイパーズがオール男子の部で優勝し、
スナイパーズが男女混合の部で3位を頂きました。
11月末に「コープこうべカップ」で3位の「東須磨レボリューション」と初めての練習試合で交流が始まりました。
12月には兵庫県チームでの第3回フレンドリー大会が三田市で開催され、広く交流を広げる二部にスナイパーズが
出場し、2勝2敗で4位に入賞。
力試しの一部にダーク・スナイパーズが出場し、予選リーグ、決勝トーナメントを勝ち進み、「コープこうべカップ」の
決勝トーナメントで敗けた「浜脇ドラゴンズ」との一騎打ちとなりました。
第一セットをサドンデスで落とした次の第二セットもサドンデスとなりましたが勝ちに結びつけ、最後の第三セット目も
残り10秒で同点の状態で、これもサドンデスとなるかと思った瞬間に外野からのアタックが決まり、長時間の優勝戦
を制し1位となりました。
その後も勝つための練習を続け、自信を持って臨んだクロネコカップ西兵庫県大会はすぐにやってきました。
いつも立ち上がりが悪いのですが予選リーグ、決勝トーナメントを勝ち進み、決勝戦は同じ明石市の「沢池フレンズ」
との戦いとなりましたが、6年生のボールは速く、5年、4年生主体のチームにとって、当てられてしまうと内野に戻って
来ることは至難の業で、土俵際まで粘ったのですが残念ながら2セットとも落とし、準優勝となりました。
しかし3年ぶりに大阪府羽曳野市での関西大会に出場する権利を得て、勢いで「決勝戦まで」と言いながらも内心は、
他府県の強豪チームを相手にどの程度戦えるかの不安で一杯でした。
予選リーグでは大阪のアミティーファイターズ、立小パワフルガッツを破り、奈良県1位の生駒サウスファイターズには
途中までリードしながらも最後は逆転されましたが、決勝トーナメントへ進出でき、予想以上の戦いができました。
決勝トーナメントでは同じく奈良県3位の西北ブラックスとの戦いで、前半でリードしながら連続して当てられ逆転され
敗退となりましたが、このチーム構成では本当に立派な成績だと思います。
6年生にとっての最後のドッジボールは「ラストチャンス」主催の「卆団式」となり、「メガネ」、「保津川インパルス」、
「音羽川ドッジキッズ」、「夕焼けダックス」との始めての交流となりました。
「ダーク・スナイパーズ」にとっては新チームと同じですから、卒業する6年生との練習試合は全てにおいてありがたい
財産となりますので、真正面からぶつかって行きましたが、やはり強く関西を代表するチームとの印象が残りました。

【ダーク・スナイパーズ4期生】(2003年)
「新生ダーク・スナイパーズ」を立上げからじっくりと育ててきた4年生が6年生となり投げる力も受けるテクニックも上が
って来ていますので、今年は勝負ができる年として交流を増やしながら実践感覚を身に付ける計画にしました。
第一弾は4月に初めての「フォルチ宝塚」「東谷ゴッドハンド」、そして「メガネ」「ラストチャンス」との交流です。
パワーでは負けていないにせよ、上手いゲーム運びに負けてしまうことが多く、また宿題が増えてしまいました。
6月上旬に人丸小での交流会では、「Winskobe」「フォルチ宝塚」「ベストトゥエルヴ」「ラストチャンス」の参加で、
「ダーク・スナイパーズ」の良いところと悪いところが良く判るゲームができました。
6月下旬の「コープこうべカップ」は、兵庫県で初めての2日大会となり、1日目は予選リーグ、2日目は決勝リーグと
トーナメントの形式です。
「スナイパーズ」は予想以上の良いゲームで、2日目も参加できましたが、決勝リーグで「ひょうたんファイターズ」に
敗れたものの、立派な成績でした。
「ダーク・スナイパーズ」はちょっと力に頼るプレーが多く、準決勝で「東谷ゴッドハンド」に途中で逆転されてしまい、
落ち込んでしまいましたが、3位決定戦で「ベストトゥエルヴ」と戦って1人差で押さえて3位に入賞。
もう少し戦い方を工夫すれば決勝戦に進めただけに残念でした。
終わってしまったことは仕方がありませんので、本格的に実力を上げることに向けて練習を始めました。
8月には、兵庫県代表となった「ラストチャンス」の壮行会では主催の「フォルチ宝塚」、「東須磨レボリューション」、
「ベストトゥエルヴ」の参加の参加で数多くのゲームで盛り上がりました。
下旬には伊保小学校で「第4回フレンドリーカップ」が開催されディフェンディングチャンピオンとして連続優勝を狙って
いたのですが、準決勝では「東須磨レボリューション」に単調な攻撃が通じず、その焦りもあって相手の攻撃で1人差
で落とし、3位決定戦は「コープこうべカップ」と同じ「ベストトゥエルヴ」と戦うことになりました。
何か運命的なものを感じますが、このゲームは落ち着いて戦い、3位入賞となりました。
攻撃力有っても、それが単調になった時に焦りが出始め、何とかしようとして無理なボールに手を出してしまうパターン
は以前と変わりません。
変えるための練習はしているのですが、身に付かないのは指導者と選手自信との理解が異なっているからなのか、
選手自信の何とかしようとする責任感が強いのか、はっきりした原因は掴めないなかでも練習は続けました。
8月最後の日には鳴尾浜で「ラストチャンス」主催の「暑気払い練習試合」に参加しました。
愛知県からは「オロナミンカップ」で全国優勝の「やごひがぼんばーず」、「メッツ萩原」「GenkiKids」
岡山から「児島ビッグサンダース」「平井熱闘ビクトリー」、京都から「メガネ」「ファルコンファイターズ」
奈良から「生駒サウスファイターズ」「斉南フェニックス」「御所イエローファルコン」
三重から「関スポ少グリーンキッズ」、徳島から「鳴門西ドッジボール部」
兵庫から「ラストチャンス」「フォルチ宝塚」「WinsKOBE」「ダーク・スナイパーズ」「ベストトゥエルヴ」
が参加していますので、非常にレベルの高いゲームが展開されました。
この日のダーク・スナイパーズは第一試合から気合が入って、いつもの立ち上がりの悪い状態ではありませんでした。
予選リーグは「メガネ」に2人差で敗れましたが、「メッツ萩原」、「児島ビッグサンダース」、「斉南フェニックス」を破り、
決勝トーナメントは「関スポ少グリーンキッズ」、「ファルコンファイターズ」を僅差で抑えて、順決勝戦は3セットマッチで
あの「やごひがぼんばーず」との戦いとなりました。
直接対戦するのを目標にしてきたので、ゲームは憧れ90%、勝つ気10%の気持ちで臨みました。
このときのゲームは今までに無い「ダーク・スナイパーズ」を見せてくれました。
攻撃面では内野と外野の連携が非常に良いコンビネーションができていましたし、相手の攻撃に対しては相手チーム
の攻撃パターンを判断し、ボールに集中できていたようで、セット数1−1のあとの第3セット目は最初から積極的な
攻撃の結果2−1で勝ち進み、決勝戦は「メッツ萩原」を2−0で下し、思ってもいない優勝!。
午後からのトーナメントは、残念ながらこの日は抑えていた「メッツ萩原」に破れてしまい、先に進めませんでした。
この日の結果を見る限り、その時のプレーがいつもできるのであれば、本当に強くなったと思えるのですが、何故か
続かないと証明されたのは、9月に「フォルチ宝塚」主催の練習試合で強烈なアタッカー揃いの「板橋ファイヤーズ」
パスワークの速い「西北ブラックス」守備に定評のある「保津川インパルス」との練習試合で、ほとんど良いとこ無しの
一日となりました。
「やごひがぼんばーず」戦でなぜ良かったのかが判らないのですから他のチームと戦ってなぜ悪いのかも判る筈が
有りません。
どうやら大変な課題に取り組まないといけなくなって来ました。

【ここからあとはHPの練習試合結果をご覧ください】